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青吊

白木の森の魔女と息子

魔女集会で会いましょう

森の人食い魔女/醜い捨て子

赤茶けたものがうごめいていた。棒のような手足が、蔦で編んだ籠から出て、しきりに空を掻いている。

これはご馳走だね、と笑ったのは、通りがかった魔女である。森の奥に住み、迷った木こりや捨て子の類いを食べてしまうことで知られた女だった。あんたたちも食っちまうよ、と既に近寄りかけていた狼たちを追い払い、魔女は籠の中をのぞき込む。かわいそうにねえ、わたしのおうちに…。猫なで声の常套句は、赤ん坊を見た途端に萎んでしまった。

「なんだいなんだい、こんなもんを捨てやがって。憎たらしいったらありゃしない。こいつの親も兄妹たちも、生きながら肌という肌、肉という肉が腐っちまえばいいのさ‼︎」

魔女が悪態を吐くのも無理はない。まんべんなく血まみれで羊膜まで張り付いた、涎がでるような産まれたての赤ん坊ではあったのだけれど、豊かなのは髪ばかりの、手足も胴も骨に皮が張り付いたように痩せこけて、お世辞にもご馳走とは言いがたい。そんなものが籠の中で蠢いていたのだ。しかも、身体中が不恰好に腫れたり膨れたりへこんだりしているものだから、シラミまみれの子どもを喜んでスープにするこの魔女でさえ、病気の麦と腐った人参と蛆の湧いた魚を食う方がこれよりましさね…と思うほどだった。

けれど、魔女は迷った。森の外はずいぶん穏やかで豊かになったらしく、子捨てはおろか、食うに困った密猟者が森に来ることすらずいぶん少なくなった。だから人を食べたければ、これで妥協するべきかもしれない。

それに、魔女はむかし聞いたことがあった。

「あたしゃ知ってんだよ。ちゃんと育てた人間ってのは食いごろになると、自然と肉付きがよくて見目麗しくなるそうじゃないか」

赤ん坊の髪を掴んで持ち上げれば、それは聞くに堪えない声でごろごろと笑った。魔女は顔をしかめて、赤ん坊を雪の中に投げ落とす。笑い声が止まったのを確かめて、いい気になってんじゃないよ、と魔女は再び赤ん坊を持ち上げた。

「人間のガキはバカだからね。何も分かってないんだろうけど、アンタはわたしのご馳走なんだから、バカな真似はとっととおよし」

分かっているのかどうなのか、神妙な顔をして赤ん坊が黙り込むと、魔女は満足そうに高笑いを一つ。そうして、足音も荒く、雪の中を住処へ引っ込んでいった。

____

パチパチと薪のはぜる音だけがする。雪がすべての音を吸い取ってしまったような静けさのなかで、うとうとと微睡んでいた女は、突然のノックに跳ね起きた。ずいぶん乱暴な叩き方ながら、その音はやけに軽い。はいはい、と扉を開けるや否や、北風と競うくらい速く、小さな塊が二つ、飛び込んできた。

小さな子どもだ。年の頃は6歳か7歳か、兄弟とも双子とも見える二人だった。二人は急いで扉に閂をかかると、その場にへたり込んでしまう。女はしばらく呆気にとられていたが、ふと表情を緩めると、食卓の方へ二人を促した。

「寒かったろう、お茶を飲むかい。ミートパイも温めようか」

二人の食欲はすさまじく、何日も食べていなかったのではないかと思うほど。ミートパイを二つ丸ごとと、沸かしてあったお湯全部をお茶にして飲み尽くすと、やっとひと心地ついた様子だった。そこでようやく訊ねてみれば、森に置き去りにされた二人は、家路を探すうち、化け物に襲われたのだそうだ。木々と見まごうほどの長身に、木立の枝のような腕、おそろしく長い髪のそれは、どう見てもうわさの森の魔女だった、と弟の方が言う。

そうかいそうかい、と相槌をうっていると、また、誰かが小屋の扉を叩いている。

「母上、私です。子うさぎを仕留めました」

若い男らしい声だった。魔女か、と身を固くした二人も、勘違いに、顔を見合わせて笑っている。しかし

「どうです。すこし肉は薄いですが、よい年頃の二人でしょう?じつに、母上好みでは」

入ってきたものを見て、二人の顔が凍りつく。木々と見まごうほどの長身、枝のような細い手足、腰より下まである髪を振り乱し、その隙間から見える肌には、キノコのように膨れ上がった瘤がいくつも並んでいる。乱杭歯が見えるのも構わず、少年たちに向かってにやりと笑う、その黒いローブの男といえば

「魔女だ…‼︎」

兄の悲鳴に、堪えきれず女が笑いだした。よくやったよ、と男をねぎらうと、けたたましい高笑いをひとつ。

「ほんとにバカだねえ…これだから人間のガキはバカだってのさ。こっちはただの魔女見習いで、あたしが"うわさの森の魔女"だよ」

二人の悲鳴は声にすらならない。それでも、せめて逃げ出そうとすれば、揃って床に倒れこんでしまう。

「バカもここまできたら可愛いもんだよ…。魔女の作った料理を食べて、無事でいられるわけないじゃないか」

混ぜ物がしてあったのだ、と気付くにはもう遅く、続いて凄まじい睡気がおそってくる。

「母上、とりあえず片方は吊しますか」

「そうさね…いや、まだ血抜きはすんじゃないよ‼︎久方ぶりの人間だからねえ‼︎」

少年たちが震え上がったのは、魔女の高笑いのせいだろうか、それとも男が取り出した禍々しい器具のせいだろうか。なんとか起きていようと目を見開く彼らの元へ、男がゆっくりと近寄っていった。

_____

 二人目の少年を吊り上げて、ふと、男が魔女を呼んだ。

「アンタの親ぁなった覚えァないよ‼︎」

と、普段の罵声が響くでもなく

「なんだいボウズ」

そう穏やかに応じられれば、今は機嫌がいいんだな、と確信する。胆汁をぶちまけたことも不問であるあたり、やはり子ども二人とくると、喜びも半端なものではないらしい。

「そういえば、今度の集会ですが」

おずおずと切り出せば、ああ…と面倒さを隠しもしないため息が聞こえてくる。すこし機嫌が斜めになった気もしなくもないが、今を逃せば、ここまで上機嫌の好機はそうそう訪れないだろう。留守番は頼んだよ、というのを遮り、魔女に向き直った。

「今回は、私めも、お連れ…」

と、ぼそぼそと懇願する唇めがけ、鉤状の鎌が投げつけられる。すんでのところでかおをそらすも、今度は顔めがけて、未消化のミートパイをいっぱいに詰めた胃袋が飛んできた。顔を胃液まみれにされた男を鉈の柄で引っ叩き、魔女が、バカたれ‼︎と詰る。

「真面目にバカ言ってんじゃないよこのバカ‼︎あたしみたいな人食い魔女が、ほかにどれほどいるか聞かせたのも覚えてないのかい。あんなとこに連れてったら、行きは二人で帰りは一人と骨だけになっちまうよ‼︎」

分かったらさっさと掃除しときな‼︎と怒鳴りつけ、足音も荒く、魔女は地下室を後にした。男は少し項垂れて、磨いていた鉈の手入れに戻るしかなくなってしまった。

____

騒がしくなってきたね、と魔女が言う前から分かっていた。どうやら、まずい相手を攫ってきてしまったらしい。妖精の助けか神の救いか、地下室に閉じ込めた娘は、どうやってか助けを呼んだようだった。

「ローズマリー、夜露の最初の一滴を瓶いっぱい取っておいで。ウサギみたいに走って、1秒だって無駄におしでないよ」

ローズマリーが夜の森に駆け出すと、魔女は棚をひっくり返すようにして魔法の材料を探す。絞首台から取ってきた罪人の手、溺死した女の死蝋、木のうろから生まれた赤子のへその緒…。それらを大急ぎですり潰したり混ぜ合わせたころ、吹雪とともにローズマリーが飛んで帰ってくる。彼の手にした夜露で魔法を固めれば、粉薬は四つの香になった。

香を部屋の四隅で焚き、煙がすっかり充満したころ、ノックもなしに小屋の扉が破られた

魔女の小屋は怪しげな煙でけぶっていた。けれど、恋人の娘を捕らえた魔女とその従者の姿はなく、群衆は扉を破った勢いのまま、助けを求める声に導かれて地下室へなだれ込む。果たして娘は、魔女とその従者は地下室にいた。そこは酸鼻極まる拷問部屋で、部屋じゅうに満ちた生臭い臭いは、群衆に犠牲者の多さを嫌でも感じさせた。魔女と従者はそれぞれ手に手におぞましい器具を持って襲いかかってきたが、しかし。魔女も人だということだろうか。魔女はともかく、その従者さえ、噂にあるような怪力を発揮することもなく、大人の男何人かで取り押さえ、容易く磔にすることができた。縄を引きちぎって逃げ出すことさえ出来ない様子で、火を放てば、聞くにたえない悲鳴をあげて身をよじるばかり。どうしてこんなことを、私が一体何をしたっていうの…。魔女が喉を焼きながら叫ぶ恨み言は、少しずつ咳にとって代わり、やがて炎の燃える音のほか、何も聞こえなくなった。

森の中でも小高い丘の上、そのてっぺんのモミの木の枝に隠れて、くすくすと笑いをかみ殺す影がふたつあった。一つは小さなくしゃくしゃ髪の娘、魔女ミアスマ。もう一つは大きな瘤だらけの男、ローズマリー。思った以上にたくらみがうまくいったことを、夜を見通す魔法の目薬で見届けて、二人は笑いが抑えきれない様子だった。そうして遂に、魔女が潰れたカラスのような声で笑い出す。

「人間ってのは本当の本当にバカだねえ‼︎見な、ローズマリー。やつら、助けようとした相手とも知らずに焼き殺して、ああほら、その恋人もそろそろ死ぬねえ‼︎」

ローズマリーの瘤だらけの頬も不気味に引き攣る…人なら、口が裂けたように大きく笑っただろう顔をした。母上、と言うには

「引き裂かれて死んだ恋人の指が10本ずつに、高貴な娘の目玉が二つ、愛しい死者に流した涙は焼け焦げてしまったでしょうか」

と、秘薬の材料を数え上げ、死体をばらせるのは今か今かと、腰帯に垂らした鉤をじゃらじゃらともてあそぶ。

そうなのだ。魔女が仕上げた香が見せたのは、群衆にとっても魔女たちにとっても、都合のいい幻だった。香と魔術の力でもって、恋人二人は魔女と従者に見えるようにされ、ただの人間二人であるから、群衆には何の被害もなく焼き殺すことができたのである。その間に魔女とローズマリーは正面から逃げ出して、火刑を見る特等席に腰を据えたのだ。

それにしても、と魔女が言う。

「今度の事はずいぶん目に余るねえ。やつら、森の魔女の恐ろしさをすっかり忘れてるようじゃないか。これはまた、やつらの愛するちびどもでも森に消してやるほかないんじゃないか」

それは、と咎めるような目をローズマリーが向ける。罪悪感からではない。出来のいい息子がいるからねえ、と笑った母の今後を心配してのことである。いくら二人が強い魔女でも、人間の数の力に勝てるかといえば…どうなのだろう。けれど

「辛気臭い顔すんじゃないよ。ローズマリー!人間なんかが勝つのは千年経っても無理な話さ。さあ、ほら、見世物も終わりだよ。さっさと隠れ家に戻って、やつらをばらす道具を取ってこないとねえ!」

ローズマリーはまた、高笑い。その声は風に乗り、火刑の広場まで届いては、群衆の背筋を凍らせた。そうしてもう一度目を見開いて、魔女と信じた焼死体を、まじまじと見るのだった。

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