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青吊

峠道には公子がおわし、

# フォロワーさんが王子か騎士か魔王か神でたとえてくれるアンケート

上記のようなタグがありまして、吊木の結果に対して作成した掌編でございます。

王子・騎士・魔王の同着3位でした。



滝のような雨だった。

まだ明るい日没前であろうと視界は悪く、まして傘もささねばならないとくれば、慣れた濃霧の夕暮れ時よりたちが悪い。ぬかるみに足を取られまいと俯いて行くその傍らへ、そっと黒い車が止まった。

六人乗りほどのバンである。

駆動音は雨音にかき消されたから、横に並んだのを知ったのは音を立てて扉が開いた後であった。

中の暗闇で黒手袋を嵌めた手が蠢く。手袋と袖の隙間の白い肌に目をとられて、逃げることは考えもしない。

その呪縛を轟音が解いた。

バンの天井へ重いものが落ちたような音がして、続いて峠じゅうへ響きそうなブザーが鳴り始めたのだ。開きかけのドアは半開きのまま止まっていて、その隙間から車中でうろたえ、毒づく声が聞こえた。

目の前で助手席のドアが開く。降りてきた男はこちらが立ち竦むのを一瞥しただけで、それより車に落ちてきたものを見定めようと爪先立ちで車に向かう。その上から影が、黒い翼が覆いかぶさった。

翼の長さは梟ほどか、けれど幅広さはその何倍もあって蝙蝠の翼手に近い形で、けれど男の背中までをぐるりと包んだ姿を見れば、樹上から蛇が飲み込みにかかるようである。

黒いそれを見定めるより速く、掴んだ男ごと車の上へ姿を消した。それを追って運転席やトランクから……車が歪んで後部座席のドアは開かなくなってしまったらしい……2、3人の男が飛び出てくる。彼らは消えた男と逆に車の反対側へ回り、やはり、悲鳴一つなく消えてしまった。

代わりに年若い青年が車の裏から現れた。

薄青、淡紫の装束を幾重にも重ね着た青年である。古い絵本で見る王子の姿にも似て、けれど雰囲気は西洋的というより多国籍の趣がある。装束は東欧の雰囲気を持っているし、三つ葉のように結んだ帯や黒髪に編み込んだ飾り布が揺れるさまは中東や遊牧民のそれに似ていた。

重たげな衣装にも関わらず彼の足取りは軽々として、それどころか裸足の爪先にはひとかけらの泥も纏わず、衣類も水を含むことなく、ふわふわと干したての柔らかさを保っていたのである。

呆れたようにも値踏みするようにも見える目に見下ろされて、だれ、と訊いたのだったか。

「人食い鬼だよ。」

応じて青年がこう言うものだから、車のことも男のことも、それから手から落とした傘も忘れて、泣きながら走って帰ったのだ。

家に帰り着いて車が男が人食い鬼がと泣き叫べば、ただ事ではないと母が警察に通報した。果たして警察が峠で見つけたのは、黒塗りのバンと昏倒した男、それからバンの後部座席に押し込められた子どもたちだったという。


後日談を付け加えるなら、のちに"人食い鬼"は山向かいの老女の息子……甥だったかもしれないがとにかく縁者だ……だったと分かった。傘を届けに来た彼は既製品のTシャツにスラックスの出で立ちで、おとぎ話の挿絵のような姿の名残は欠片もなかった。誘拐されかけたのを助けた話も、通りかかったところに運良く落石があり、バンが潰れて閉じ込められた誘拐犯が立ち往生したからだと聞いている。

人食い鬼が魔王がと大騒ぎした僕の話は、こうして早々に笑い話になったというわけだ。


けれど果たして、あれは本当に笑い話だったのか。

笑い話こそ現実を受け入れられずに僕が作った偽の記憶でなかったか。

目の前には、子どもの頃に見たのと変わらぬ姿があった。

幽鬼を思わせる外套、おとぎ話に見るような装束、煌めく飾りが揺らぐ黒髪。

誰、と声を絞り出す。

「人食い鬼だよ。」

狼に似た妖異の腕を捻じ切って、青年が馬鹿にしたように鼻で笑った。

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