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青吊

クロークマン


こんな噂を思い出した。

…入退場口のクロークで66番に荷物を預けると、自分のものじゃない荷物が混ざっていることがある。その荷物を持ち帰ってしまうと、"クロークマン"が訪ねてきてしまう。"クロークマン"は自分の荷物を渡すように言ってくるが、その時に決して顔を見てはいけない。顔を見たが最後、その恐ろしさで心臓が止まって、息絶えてしまうからだ…。

よくある怖い話の類だ。けれど、こんな話を思い出したのは、見覚えのないストールが荷物に混ざっていたからだった。

艶のある、真っ黒なストールである。私のものではないし、一緒に行った友人たちの身につけていた覚えもない。嫌な予感を感じながら、けれど、努めて気にしないようにしながら、私は荷物の整理に戻った。

ノックの音がしたのは、11時を過ぎた頃だった。入浴も終えて、あとは寝るだけだと思っていた頃に聞こえたものだから、昼間のこともあって、飛び上がるほど驚いた。

気にしすぎだと笑いながら戸口に向かう。そうして覗き穴を見ようとした時、ひとりでに鍵が開く音がして、視界の端で、ドアノブが回るのが見えた。

開いた扉を押さえる間も無く、滑り込むように入ってきたものがあった。まず感じたのは、甘い香り。キャラメルとローストピーナツ、遊園地で何度も見かけた、キャラメルナッツのポップコーンの香りだ。それから遅れて、目の前のそれの姿を捉えた。モーニング、とか言っただろうか。スーツに似た、黒い燕尾の上着に、黒いベスト、白いシャツ。それらを、私の頭がその胸に届くかどうかというひょろ長い痩躯が纏っている。

思わず見上げかけて、思い留まる。"クロークマン"だ。そう直感したのだ。

"クロークマン"が後ろ手に扉を閉める。

逃げなければ、けれど、逃げようにも、どこへ逃げればいいのだろう。固まった私の方に、"クロークマン"の手が伸びた。思わず身を縮こまらせる、けれど、その手は私ではなく、私の手にしていたストールを抜き取っただけで、すぐに離れていった。それで帰ってくれるかと思えば、しかし、まだ、そこにいる。ねえ、と"クロークマン"が言う。

「今日は楽しかった?」

そう訊く声は、容姿に反してあまりにも普通だった。どこにでもいそうな、普通の、もしかしたら少し高めの、若い男性の声だ。

「ねえ、楽しかった?」

繰り返す声が、耳に近付く。顔が降りてきていることに恐ろしくなって、急いで頷けば、そう、と満足げな声が離れていった。

「何に乗ったの?ひとりでかな、それとも、お友達と乗ったのかな」

とはいえ、まだ解放してくれる気はないらしい。その質問に答えても、どうだったのかとか、あるいは、ご飯は何を食べたのかとか、矢継ぎ早に次の問いかけがとんでくる。"クロークマン"が聞き上手なこともあってか、次第に、怖い、と思うのもなくなってしまって

「それで、八千代が先に参っちゃって。結局二人でこんな量のターキーを食べたんで、す、けど…」

と、思わず見上げた先には、グロテスクに抉れた穴だらけの、顔。思わず気が遠くなる中、"クロークマン"の噂の最後をふと思い出した。

…"クロークマン"の顔を見てしまうと、あまりの恐ろしさに死んでしまう…。

これのことだ、と思いながら、意識が暗転するのを感じた。

眩しさが煩わしくて目が覚めた。前日の疲れが残る体ではまだ寝ていたくて、目を閉じたまま、開けっ放しのカーテンに手を伸ばす。そこで、ふと気付いた。昨日、いつ布団に入ったのだったか。そこでやっと、"クロークマン"の来訪を思い出す。ぺたぺたと体を触って、何事もないことを確かめて、首を捻った、その先。

ベッドサイドに、何か置いてあるのに気づいた。紙袋だ。持ち帰り用の、遊園地のロゴの入った紙袋。中には、キャラメルナッツのポップコーン。夢じゃなかったんだ。そう思いながら吸い込んだ香りは、やはり、"クロークマン"の纏うそれと、同じだった。

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