しばらくこの辺りで刈りとりを続ける、そう言うキャロラインとは橋で別れて、サラはジリアンの家をまた訪れていた。大通りの悪夢の残党を刈りとりがてら…苗床を倒して気が大きくなってもいたものだから…この後どこへ行くべきか、昨晩の自分はどうしていたのか、助言を仰ごうと思ったのだ。
ジリアン、と呼びかければ、すぐそばで、影が動いた。窓のそばで待ってていてくれたのかもしれない。
「ジリアン、苗床を倒しましたよ。大通りの悪夢も皆、刈りとりました。それで…私は次に、どこへ行けばいいのでしょう。昨晩の私なら、どこへ行ったのでしょうか」
そう伝えればジリアンは、まるでサラが誕生日か何かのように喜んでは、素晴らしいです、と、あるいは、もう昨晩の戦い方を思い出したのですね、と弾んだ声をあげるのだった。そうして、
「昨晩のあなたは、月を墜とす方法を求めておいででした。ですから騎士街へ行くよう、そのために橋を渡るようお伝えしたのですが、どうやら、苗床がいたせいで昨晩も橋の門が閉ざされていたようなのです。ですからあなたは、橋の橋脚の水道…旧市街の東から入れる、水道街を通って騎士街へ向かっておいででした」
橋の橋脚、そこは実は水道になっていて、かつて水を大量に扱う研究者たちが、街のように工房を連ねていたという。今では殆どが空き家であるが、今でも橋の下から、旧市街と騎士街を繋いでいるのだそうだ。
「この家の西へ降りた先に、水道の貯水池があるのです。そこをまた降りて、道なりに向かえば騎士街に出る。そう聞いたことがあります」
そう、と頷いて、サラは首を傾げた。騎士街。やはり、聞き覚えのない名前である。けれど、そこに向かったなら、何か思い出すことがあるかもしれない。何も分からない以上、昨晩の自分の足跡を追う…その途上で悪夢を刈る…ことが、サラにできる精一杯のことだった。そう思って礼を述べながら、ふと、サラが訊ねる。
「騎士街では、何が分かるの?」
「クリスタベラ様がいらっしゃいます。クリスタベラ様は大鎌騎士団の団長を勤めておいでの衛士様で、バイロン様と同じく、今まで何度も月を墜としてこられました。ですから、月との戦い方を、よくご存知だと言われております」
なら、昨晩のサラとも、きっと言葉を交わしたことだろう。月を墜とす、墜とさないは別として、何か自分についてきけるかもしれなかった。
「そうだ、もし塔へ戻るお暇がおありでしたら、ぜひ、熱波の杖をお使いください」
なら、と早くも貯水池に足を向けたサラを、ジリアンが呼び止めた。熱波の杖、とは、先端から波状に炎を吹き出す、言うなれば、火炎放射器のようなものだという。昨晩ジリアンから贈られたこれは、総じて植物や虫に近い姿形の悪夢たちには、これが覿面にきくのだそうだ。
「水道街はもう、今や悪夢の巣になっているでしょう。あそこの悪夢には効くはずです」
サラは礼を言ってその場を後にする。聞いた通り、目指すは橋、あるいは水道、そしてその先の聖堂街だ。駆け出したサラの背を、苦しげな咳の音が見送り、やがて、窓辺は再び沈黙した。少し気遣わしげに耳を澄ませてから、サラは踵を返し、燈火へ向かう。昨晩の自分が選んだ杖なら、それがいいに決まっている。
誰もいなくなった大通りを、そして噴水広場を抜け、橋を渡る。けれど、果たして、橋は聖堂街に通じていなかった。通じてはいたのだろうが、今は重い格子戸が下り、小さな潜り戸もまた、鍵がかかっていたのだ。こちらから行けないとなれば、聞いた通り、水道街を通っていくしかないのだろう。
ジリアンの家まで一旦戻り…窓辺の灯が消えていたから、声はかけなかった…西の路地を抜けて、狭い階段を降りる。出くわした悪夢を斬り捨てて進めば、聞いた通り、水音の響く、地下への広い階段が伸びた、大きな建物の前にたどり着いた。その時だ。
「…今夜は、長くなるわね」
ふと、そんな声が聞こえて、足が止まる。人の声、それもまともそうなそれであるように聞こえた。声は、梁伝いに屋根へ出る出窓の方からしていたようだ。衛士がいるのかと、サラの足がそちらへ向かう。
果たして、探した相手はそこにいた。蛇のそれに似た、けれど真っ黒に染め抜かれた革を継ぎ合わせた外套をはためかせ、屋上に備えられた鉄柵にもたれて、悪夢の行き交う階下を見下ろしている。衛士、なのだろうか。そうならば、私のことを知っているだろうか。呼子笛をくわえ、軽く吹き鳴らす。
果たして人影はサラの呼びかけに、軽く手を振って応えてくれた。蛇のあぎとを模した仮面で顔はよく見えないが、柔和に笑う目元に、安堵感が湧き上がる。
「昨夜ぶりね、サラ」
仮面の衛士はそう呼びかけて、そして悲しげに眉尻を下げて、こう言うのだ。
「…家には、帰れなかったのね」
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