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青吊

Gasp Hollow 7

「そろそろ、苗床と戦った頃だろう」

待っていたのだろうか。月の塔に戻ったサラの目の前で、バイロンが口を開いた。

「その様子では、手強い相手だったようだ」

どこか満足げに頷いて、バイロンがガゼボへ手招く。大人しく従えば、ガゼボでは、やはり、あの少女が待っていた。けれど、今回は起きている。眠たげな様子ながら、目を開いて、サラのことを不思議そうに見つめていた。

「彼女こそ、君に加護を与えてくれている妖精であり、余剰の意思を力に変えてくれるものだよ。君さえよければ、望む通りに、肉体を変えることができる。昨晩の君もしていたことだ。より手強い悪夢を相手にするためには…不可欠なことだよ」

バイロンが妖精に視線を移す。それを受けて彼女は頷き、おいで、とサラを誘った。

手を出されるままに、小さな掌に自分の手を重ねる。すると、ぶわりと手の重なった部分から黒い塵が逆巻き、小さな竜巻を成した。

「昨晩ぶりね、サラ。今度のあなたはどうしたい?どうなりたい?なんでも斬り伏せられる力が欲しいのかしら、それとも、どんな相手もねじ伏せる魔術?もしかして、どんな相手にも耐えられる体が必要?」

サラが、少し考え込む。あの苗床に勝つためには、何が必要だろう。体を強くするのはどうだろう。あの一撃に耐えられれば、その後の隙をつけるだろう。でも、あの頑丈そうな皮膚に傷を与えるだけの力も欲しい。いや、魔術で戦った方が、より主導権を握りやすいかもしれない…。

「力を。苗床に傷を与えられるだけの、力をお願い」

真っ直ぐにサラが妖精を見る。妖精はその視線に微笑み返すと、サラの手を両手で握り、ふ、と息を吹きかけた。妖精の息を受け、竜巻が勢いよく回る。黒から白へ、色が変わる。そうしてまた、塵となって、サラの掌へ吸い込まれていった。

「というわけだ。これからも、彼女が起きている限り、その力を借りるといい。それからね、私からも餞別を」

そう言って差し出されたのは小さな鈍色の呼子笛だった。共盟の笛だよ、とバイロンが言う。なんでも、呼び合うために、古い衛士たちが作ったのだそうだ。

「笛の音で誰かと合流できれば、手強い悪夢も敵ではないからね。そもそも悪夢など、人の身では敵わない相手なんだ。誰かと組んで動く衛士も少なくはない」

だから君も、相棒と呼べる衛士をつくるといい。そう言うバイロンからありがたく笛を受け取り、サラは足取りも軽く、燈火に足を運んだ。

また、大通りを駆け抜けて、噴水広場へ歩を進める。けれど、ふと、足が止まった。

おや、と思ったのだ。蔦の巨人の姿がないものだから。もしかして、と。用心のために、そしてほんのちょっぴり、新しいものへの好奇心から、呼子笛を吹きならす。そうして警戒して進めば、階段の上で、誰かがサラの姿を認めた。その誰かは優雅に手を振りながら、軽く呼子笛を吹いてみせる。

「衛士の方ね、しかも新しい方」

そう言う声は驚くほど可憐で幼い。大きなボンネットにワンピースドレス、いでたちの全てを真っ白で固めた少女は、どう見ても狂気の徒には見えなかった。自分も衛士であると名乗った手には、けれど、馬上試合の騎士が持つ槍にも似た、大きな傘が握られている。レースで飾られた持ち手には不似合いなほど長く、鋭い切っ先を備えた傘だ。そこには、やはり衛士か、と頷かせるような禍々しい雰囲気があった。

「悪夢の竜が出たって聞いたの」

やはり、橋に陣取る半人半蛇もまた、苗床であったらしい。けれど少女曰く、その強さもしぶとさも一線を画すもので、一晩に何人もの衛士を餌食にするそうだ。

あれが出ると厄介だと少女は言う。もしよければ助力を、とも。どのみち自分も、あれを刈らなくてはならないのだ。サラは迷うことなく名乗り、少女の手をとった。

「私、キャロラインよ。よろしくね、サラ!」

苗床はやはり、橋の上に居座っていた。待ち構えていたのか、燈火の前に立ち塞がって、静かに巨体を波打たせている。一撃で叩き伏せられたことは記憶に新しく、サラは思わずたじろいだ。しかし、キャロラインは違う。白い残像が、横を。そう思った時には、彼女の槍が苗床を貫いていた。けれど、苗床は斃れない。傷口からしゅうしゅうと塵を吐き出しはすれど、怯むことなく巨腕でキャロラインを狙う。けれど、そうはならなかった。咄嗟に放ったサラの魔弾が、かろうじて巨腕の軌道を変えたのだ。

こんなものにも、感情はあるのだろうか。いくらか悔しげな咆哮を上げ、サラに向き直った苗床が再び腕を振り上げる。今度は両腕だ。

「後ろに‼︎」

キャロラインの声に、慌てて後退する。苗床の腕は同時に左右から振り下ろされ、先ほどまでサラがいた場所を挟みこんでいた。一歩でも遅れていたら、あの掌に潰されていただろう。たじろぐサラを置いて、キャロラインはしかし、苗床の隙を見逃さない。祈るように組み合わされた苗床の両手を、組み合わさったそのままに、彼女の槍が刺し貫く。大きな咆哮が上がり、苗床が身体を折り曲げて悶えた。その頭が、サラの目の前に降りてくる。その瞬間、世界が止まったように思えた…今だ。

力を込めた腕が、苗床の頭へ鉈を振り下ろす。何度も振り下ろす中で鉈は眉間を割り、頭蓋を砕き、おそらくは、脳までを破り潰したのだろう。腕が持ち上がらなくなるまで鉈を振るった頃には、断末魔も絶えていた。

「やったわ‼︎サラ、ねえ、ご覧なさいな」

キャロラインの声に、我に返った。見れば、苗床の身体がさらさらと崩れ、砂より細かい黒粒になっていく。サラに飛沫いた返り血もだ。全身を真っ赤に染めていたはずのそれは跡形もなく、疲労感を除けば何事もなかったように、いつのまにか身体は清められていた。

「…倒したのですか」

ほっと息をつく。あまりに気を張り詰めさせていたからか、どう戦ったのか、まるで覚えていなかった。それでも目の前に敵の姿は無く、掌に"意思の塵"をあらわせば、それはたしかに、苗床のぶんだけ、量を増していた。

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