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青吊

Gasp hollow 5

サラは再び、ジリアンの家の前に立っていた。窓には未だ、ほのかに明かりが浮かんでいるのが見える。また、応えてくれるだろうか。そう思いながら彼女を呼べば、思ったより近くから返事が聞こえた。

穏やかな声に安堵するのは、初めて会った人物に刷り込むようなものなのか、それとも、昨晩親しくしたことをどこかで覚えているからなのか。ともかく、バイロンから聞いたことや、その助言がどうだったかをを伝えれば、ジリアンもその通りだと肯いた。

「確かに、今のサラ様には旧市街が…このあたりの悪夢がよろしいかもしれません。施療院からいらしたなら、騎士街に架かる橋があるのはご覧になりましたね?苗床がいるとすれば、きっとそこです。悪夢は皆、橋の方からやって来ますから」

ただ、とジリアンが言う。お気をつけて、と。

「苗床は本当に手強い相手です。どうか相手を見誤ることのないようになさってくださいませね」

本当にお気をつけて、と繰り返すジリアンに見送られるようにして、サラは右手の路地を目指した。

壊れた木箱の散乱した階段を降り、蔦まみれの入り組んだ煉瓦造りの路地を歩いて、先ほど上から見えた、大通りであろう広い路を目指す。周りの家々にはうっすらと明かりが見えるものの、息を潜めて籠っているような様子で、物音一つしない。聞こえる音といえば、自分の靴音と木の葉の転がる音、それから遠くの何かの唸り声。いくつ目かの路地を曲がったとき、その静寂が突然破られた。

立てかけられた棺桶が内側から開き、腕を振り回しながら何者かがサラに飛びかかってきたのだ。ごく近く、腕を伸ばせば届くほどの距離からの奇襲である。逃げることができなければ、立ち向かうこともまた、できようはずもない。蔦まみれの手に握られた斧の殴打を受け、サラは意識を失った。

おおん、と鐘の音が聞こえた。

燈火にもたれるようにして、サラは月見の塔の庭に立っていた。キャビネットから見つけた装束を纏い、手には鉈と杖とを握って、立ったまま悪夢でも見ていたようだった。思わず触れる頭に痛みはない。それどころか怪我ひとつ、血飛沫すらも残っていない。すこし、頭が揺さぶられた余韻が残っているような気がするだけだ。

「おかえり、サラ」

バイロンが穏やかに微笑んだ。サラは言葉も無く当惑しながらも、どこか頭の片隅で、分かっていたんだ、と感じた。この人は、私がこうやって戻ってくることを分かっていた。それを知ってか知らずか、バイロンが言う。

「言葉では分からないこともある。だからあえて言わなかったが、ともかく、この通りだ。君は普通なら死ぬ傷を負ったが、無事、ここへ戻ってきた。

というのもね、衛士に選ばれた時点で、君はもう、ただの人間ではないのだよ。妖精の…ガゼボの彼女の加護の元に、意思の力をふるって致命傷を瞬時に直したり、超常の力を操ることができるようになっている。超常の力は杖を用いたそれだが、肉体は意思によって制御できるものに変わったというわけだ。傷を直そうと思えば治り、腕力や体力を強めようと思えば強まる…最も、それも意思が続く限りであるし、自身を強くするには、余剰の意思が必要なわけだが…これはまた、後々、彼女が起きたら説明するとしようか」

そうして、ともかくまた行っておいで、とサラを促した。斃れても死ぬことはない、だから、存分に衛士として力をふるってくるといい、と。その言葉にも何か力があるのか、半ば強いられるようにして、サラはまた燈火に手を伸ばした。その背後で、バイロンが言う。

「ともかく、望むことだ。願い、求めるのだよ。そうして初めて、意思は力をあらわすのだからね」

また、サラの姿はジリアンの家の前にあった。今度はより注意深く、階段を降り、路地を抜け、進む。先ほど殺された路地が近づけば、足音も、息も潜めて、よりゆっくりと歩を進めた。鉈を握る手に力をこめて、あらかじめ胸のあたりに掲げておく。そうして、まだ真新しい血だまりに足を踏み入れたその瞬間、また、棺桶の扉が勢いよく開いた。けれど、分かっている。サラは掲げた鉈を水平に振るった。鈍い音をたてて刃と刃が噛み合い、火花が散る。思わずよろけた相手はやはり、蔦まみれの腐乱死体のような怪物…悪夢であり、反動で再び棺の中へ収まったその身体を、間髪入れずに振るったサラの鉈が両断した。

荒く息をつくサラの目の前で、悪夢の体が黒い塵のようになって崩れていく。ふわりと霧散した塵は身体にまとわりつき、サラの体に吸い込まれたようだったが、不思議と嫌な気はしなかった。それどころか、力が湧いてくるような気すらしたほどである。その感覚に奇妙なものを感じながら、サラは再び歩を進めた。大通りはもう、目の前に見えている。こんな怪物…悪夢とはいえ、鉈の一振りで片付けられる相手なのだ、奇襲にさえ気をつければ…。

そう考えながら大通りに出た、その時だった。背後で大きな雄叫びが、金切り声が響く。驚いて振り返ったサラの目に映ったのは、四、五人もの悪夢たちが、手に手に鋸を、鉈を、鎌を持って、駆け寄ってくる姿だった。

一瞬の硬直。その間に目の前まで距離を詰められ、サラは慌てて鉈を構える。けれど、一人の鋸を弾いた隙を突かれ、いくつもの鉈が、鎌が、体に突き刺さり、また、サラは意識を失った。

「苦戦しているようですね」

気遣わしげな、ジリアンの声が聞こえた。靴音で分かったのだろう。窓に影が現れて、サラの様子をうかがっている。昨晩の私はどうしていたのだろうかと聞けば、思わず、ジリアンの声が弾んだ。

「それはもう、鮮やかに悪夢を刈っておいででした!囲まれても、一人ずつ的確に刈り取って、奇襲にも慣れていらして…ああ、それでも、最初は今のサラ様と同じでしたよ。一歩進むたびに斃れていらっしゃるようなかんじでしたとも」

それを聞いて、サラがふと、独りごちた。そうか、一人ずつ屠っていけばいいんだ。やはり、少し思い上がったことは認めるしかない。これからはもっと慎重にいかなければ。

ありがとう、とジリアンに礼を言って、再びサラが大通りを目指す。

今度はもう、ぬからなかった。奇襲を手早く片付け、大通りに出る路地からは、悪夢の集団が通り過ぎるのを待ってから出た。そうして物陰を、暗がりを選んで歩を進め、一人でいる悪夢を狙って刈り取る。そうして、大通りも半分を過ぎた辺りだったろうか。大通りを挟む、人一人分ほど高い路の上で、大きな杭を片手に哨戒する悪夢の背後を襲ったその時だった。大通りに降りる階段の下で、また、金切り声が響いたのである。見られていたのだ、と気づいたときには遅かった。増援が階段を駆け上がり、そのままの勢いで、剣に似た鋸状の刃物を振りまわす。咄嗟に鉈でそれを受け止めるも、増援は一体ではない。後に続いたもう一体の槍に体を貫かれ、サラは意識を失った。

その後もまた、何度も鉈で切られ、槍で突かれ、あるいは礫で打たれて意識を失っては、サラは月見の塔と旧市街を往復した。けれど、そうしながらも、着実に…それこそ少なくとも一歩くらいずつは…サラは、大通りを進んでいるのだった。

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