まだ、サラの混乱がほどけたわけではない。けれどやるべきことがあるなら、そしてそれが昨晩も自分がやっていたことだというなら、とりあえずそうしてみよう。そう思えるだけの、自棄に似た冷静さは取り戻していた。当座の決意を固めたサラの目の焦点が段々合ってくる。その様子に満足げに頷いて、バイロンが言葉を続けた。
「まずは旧市街を、君がたどり着いた辺りを巡ってごらん。あそこの苗床はまだ未熟で弱い。君が力を蓄えるのにはちょうどいいだろう」
そうして立ち上がると、ついておいで、とサラを呼ぶ。
「衛士たちの・・・君の持ち物はみな、残らず取ってあるんだ。杖や刈り道具もそうだし、もちろん装束もね。まずは着替えなくては。そんな格好で悪夢刈りに行くものではないよ」
松葉杖にしては、バイロンの歩く速さは随分速い。小走りで彼について行けば、ガゼボを出、燈火の前を通り過ぎて、霊廟の入り口を思わせる屋内階段を下り、納骨堂を思わせる倉庫にたどり着いた。幅も高さもある棚には、棺の代わりにいくつものキャビネットが並べられ、その中の一つにはサラの名前も刻まれていた。
「必要なものを取って行きなさい。手探りで進む者には、長い夜になるからね」
そう言って、バイロンは倉庫を後にしようとする。キャビネットに手を伸ばしかけて、ふと、その背にサラが問いかけた。
「月を墜とすとは、その怪物を打ち倒すことなのでしょう。・・・なぜ、昨夜の私はそんなことをしたのか、ご存じですか?」
「できたから、だろう。月を墜とすとはそういうものだし、いままでもそうだったから」
そういうものなのだろうか。釈然としないながらも、この先どこかで思い出せれば分かるだろうと、サラはキャビネットに目を戻した。中はきれいに整理されていて、畳まれた衣服やいくつもの薬瓶、杖と呼ばれた枝状の棒が何種類も納められている。取り出した装束は新品のように糊がきいていながら、着慣れた普段着のように肌になじんだ。倉庫の片隅に立てかけられた鏡で、自分の姿を確かめる。白いシャツとクラヴァット、焦げ茶色のベストに、コートに似た丈の長い黒い上着。サイズはあつらえたようにぴったりで、男装といえる姿ながら、よく似合っている気がした。
重い革製の装束ながら、心なしか、患者衣のときより身が軽くなった気がする。駆け足で階段を昇り、足早に燈火を目指す。それに触れれば、また周りが陰り、景色が靄の中で変わっていく。
ガゼボから燈火に消えた彼女を見送って、バイロンが独りごちた。
「あるいは、そうしなければならなかったのだ。家へ帰るためにね・・・」
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