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青吊

Gasp Hollow 2

ふと、目が覚めた。辺りは真っ暗で、天井がうっすらと見えるばかり。気配を感じて横に眼を向ければ、何者かがこちらの様子を伺っていた。それが何かと認める前に、頭が冷える。これはいけないものだ、触れては、触れられては、ならない。けれど、触手のような黒い手が、蛇に似た黒い軀が迫る。未だ薬が効いているのか、動かない体ではただ、来るな、と願うしかない。けれど、しかし。そう念じた瞬間、それはぴたりと動きを止め、悔しげに身悶えながら、ベッドの下へ沈んだのだった。

入れ替わるように、白い小人が体に群がった。否、小人というほど可愛いものではない。白くのっぺりとした頭、粘り気を帯びてつやめく手足は、たとえそれらがレースに似たドレスを纏っていても、粘菌が群がるような悍ましさがある。それらはサラの体に触れては、そこから黒い塵のようなものを巻き上げては、手に取ったり、耳を近づけたりして、何か検分しているようだった。その嫌悪感に、再びサラの意識が遠くなる。視界が暗転するその時、声を聞いた。

「衛士がガスプホロウへお帰りに…」

_____

大きな音を聞いた気がした。金属の皿を床に落としたような音だ。サラが目覚めると、室内はもう暗くなっていた。室内の光源といえば、ベッドサイドのテーブルに置かれた、今にも消えそうなほど縮んだ燭台だけである。誰か、と呼んでも、静けさが際立つだけで、人の気配すら感じられない。テーブルには燭台の他に、一枚の便箋が置かれていた。ほとんど真っ白なそれには、走り書きがあるばかり。

「月を墜とせ。病の狂気は、夜明けの光によって晴れるだろう」

誰のものとも知れない、差出人の署名のない手紙だった。それに、自分が受取人のの"サラ"だという実感も希薄である。思い返せば、眠る前の記憶もおぼろげだ。ここが病院らしい、ということは部屋の様子から分かるのだが、自分のどこが悪かったのか、どんな治療を受けていたのか、そんなところが思い出せない。

ともかく、外へ出よう。いつまで待っても回診は来ず、不気味さに耐えるのも限界に近い。患者衣であろうシャツ一枚の上に仕方なく毛布を羽織り、少女は寝台を降りた。

治療室の扉は、二方のうちの一方しか開いていなかった。出て、階段を降りれば、そこはまた、先ほどより少し小さめの病室だ。小さめといっても、端から端まで20歩はある部屋だから、それなりに大きい。部屋には簡易寝台がいくつか置かれているほか、壁は医学書と、何が詰まっているのか分からないホルマリン漬けの検体が詰め込まれた戸棚で埋め尽くされている。何故だか簡易寝台はどれも血塗れで、床にも、暗闇のなかでぬらぬらと血溜まりが光るのが見えた。勿論、アルコール臭と同じくらい強い生臭い臭いで部屋は満たされている。

そんな部屋の中、何かが動いていた。

月明かりに浮かんだ姿は、そうだ、マンドラゴラと言っただろうか。人間の形を植物の根で作り、頭から茎や葉を生やした、そんな姿のいきものが病室を徘徊している。それの興味は専ら床の血溜まりのようで、部屋の隅からうかがう彼女のことには気付いてすらいないようだった。けれど、部屋を出るには、それのすぐ横を通り過ぎなければ、向かいのドアまでたどりつけない。確信的に、目の前の怪物に近付けば殺される、とは分かっていたから、そんなことは夢にも考えられなかったが、もしかすると、何もしてくることはないかもしれない、そんな考えに一縷の望みをかけてそっと近寄る。

果たして、マンドラゴラは素早く振り向いた。そうして彼女の姿を捉えた瞬間、ひげ根めいた手の触手でもって彼女の頭を掴み、万力のように締め付ける。

幸運なことに、意識が無くなるのに、そう時間はかからなかった。

_____

おおん、と。鐘の音が聞こえた。

冷たい石の上で眼を覚ます。庭園のような場所に居るのだろうか。周りは霞草の花だらけだった。石と思ったのは、飛び石の類であるらしい。見上げたその先、あまりに大きな月の下に、小さな白いガゼボが見える。そこに誰か、おそらくは普通の姿の人間が居るようだった。

立ち上がった彼女のマントがわりの毛布が何かにひっかかる。引っ張ったのは、どこかで見た気のするおぞましい妖精たちだった。足を止めれば、別の妖精たちが進み出て、恭しくなにかを差し出す。剣のような十字の柄のついた、黒々と光る幅広の刃物…鉈だった。大振りのそれは目で見るよりはるかに軽く、よく、手に馴染んだ。また、二の腕ほどの長さの木の杖も共に差し出される。鉈はともかく、そんな、魔法使いめいた杖など扱ったことはないはずなのに、それが魔弾といわれる礫を噴く、銃に似た武器であることと、望んで撃てば当たることは、何故かよく分かっていた。

受け取ると、ふたたび妖精たちがサラの服の裾を引いた。促されるままそちらに向かえば、ガス灯のような燈火のもとで、他の妖精たちも待っていた。妖精のうちのひとりが、燈火に触れるような仕草をして見せる。触れれば、良いのだろうか。恐る恐る手を伸ばせば、触れるか触れないかのうちに、霧に包まれたように世界が陰った。けれどそれも、瞬きの間。あたかもはじめからそうであったかのように、周りの風景は病室のそれに変わっている。目覚めた病室から階段を降りてすぐ、マンドラゴラと邂逅した病室の端に、サラは姿を現していた。

足音を潜ませて進む。そうして壁越しに様子を伺えば、やはり、マンドラゴラが床の血だまりに釘付けになっている。サラは足音を殺してゆっくりと近づき、思い切りその頭へと、鉈を振り下ろす。

果たして、マンドラゴラが倒れるのに時間はかからなかった。立ち上がられるのが恐ろしく、頭が潰れるまで鉈を振り下ろせば、もう、それは動かない。鉈は、マンドラゴラに大きな威力を発揮したらしかった。

背を向けるのは怖かったが、その死体を踏み越え、病室を出る。扉を開けば、その先は広場…のような、小さな墓の並ぶ空き地だった。空き地の四隅には小さな墓が並び、葉の枯れ落ちた木々が植わっている。空き地には東西に門が有ったが、錠がかかっていなかったのは西、大きな橋を前方に臨む方だけだった。

思い切り力を込めて、門を開く。大きな軋み音を立てて、門が開いた。

市街地だ、と直感的に思った。けれど、何があったのだろうか。すぐ足元には誰かのトップハットが転がっていて、その近くには、馬のない馬車が乗り捨てられている。馬車も止められているというより、壁にぶつかって動かなくなったものを、そのまま捨て置いたようにみえた。路地の隅を見れば棺桶がいくつも積み重なっていて、どうしてだか、その中には少なからず、鎖で鎖されたものが多く目につく。

どこへ行けばいいのだろう。そもそも、ここはどこなのだろう。分からないまま、サラは市街地の中心を目指して、家の密集する方へ進んでいた。

歩を進めてすぐ、かがり火の灯りが目についた。誰かいるのだ。けれど、馬車の陰から現れたのは、服こそ人のそれではあれど、植物の蔦を顔じゅうから生やし、その上から包帯を巻いた異形の男で、やはり蔦に覆われた手には、大きな斧を引きずっている。

サラが息を飲んだ瞬間、雄叫びとともに男が斧を振り上げた。すんでのところで避けたサラだったが、男は早くも二撃目を向けていた。鉈を持つ手に、力が篭る。男が斧を振り下ろすより先、咄嗟にサラの鉈が男の首を切り裂いていた。

荒く息を吐きながら、辺りを見回す。すぐ目の前に門があったが、こちらも反対側から錠がかけられているようで、どうやら開かないらしかった。辺りを見回すと、梯子が下がっているのが見える。他に道もない。新手の怪物が来る前に、登るしかないようだった。

梯子は随分高くまで繋がっていて、登り始めてすぐ、足元を見る気にはならなくなった。そうして登り終える時、何かの叫び声がサラを驚かせる。赤子の泣き声のような、気味の悪い鳥の叫びのような。何ともしれない声に、梯子をつかむ手を強く握りしめた。

登り終えた先は、小さな広場になっていた。向かって北には東西にそれぞれ路地が伸びていて、正面には先ほど触った不思議な燈火と、その奥に、民家の玄関がある。これに触れたらまた、先ほどの庭園に帰れたりはしないだろうか。そう思って手を伸ばした時、誰かの咳が耳についた。

辺りを見回せば、民家の窓から光が漏れている。どうやら、その家には誰かいるらしい。

「あの、こんにちは」

話しかけた先で、息を飲む音がした。けらど、待てば、ああ、と声がする。嗄れてこそいたけれど、若い女性の声である。

「…衛士の、方ですか」

「衛士?」

おうむ返しにサラが訊ねる。聞き覚えのない響きだったし、なにより、自分がそんな職業についていたような覚えはなかった。けれど、女性はこう言うのだ。

「…サラ様、あなたですか?」

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