カレーの好きな人が甘口って言うのと同程度の怖い話。
あるビルの話だ。
ここの上階は幾つかの企業が借りているのだが、どこに勤めても、新人は何より先にこう言われるという。
「エレベーターに乗ったら、なんでも正直に答えろよ」
首を傾げたくなる話である。
エレベーターの中で面談めいたことでもされるのだろうかといえば、そんなこともない。悪疫の流行るこのご時世、そもそもエレベーターなどという密閉空間で会話も何もないのである。
まして、人によっては行き合った別企業の社員にも言われたこともあるという。それなら会社の慣例というより、ビルに関わる約束事になるのだろうか。
特に逆らう理由もなければ、正直に答えて不利益を被ることもない。そういうものなんだなあ、と従うわけであるが、残業するようになると、この意味を身をもって知るという。
夜遅く、といっても9時くらいか。
上階というと6階、7階……高ければ10階……であるから、大抵の社員はエレベーターを使って退社する。
すると、押していなくとも4階で止まることがあるそうだ。
当然、大抵4階に勤める社員が乗ってくるのである。けれどまれに、止まっただけで誰も乗らないことがある。
そういう時は3階でも止まるのだそうだ。
エレベーターが止まってドアが開くと、真っ暗なフロアに男が一人立っている。
顔は分からない。スーツを着ているからどこかの社員であろうとは思う。けれど古参の社員……課長だったか主任だったか、遭遇した新入社員が翌日訊ねたらしい……にも、全く覚えはないという。
ともかく、その男は決まってこう訊くらしい。
「4階押したのお前か?」
恨みがましい低い声などではない。
「お疲れ」とでも言うような、くだけた調子の明るい声だ。
残業で残っているにしては元気すぎる声だが、ともかく敵意はなさそうな雰囲気だという。
これを聞いて新入社員は納得する。そうして、押してないと答えるのだ。
すると男は
「そうかあ」
と言う。これもまた、「じゃあお疲れ、また明日」と言うような軽い声だそうだ。
そのとき開閉ボタンのどちらを押していても、これと同時にエレベーターのドアが閉まるという。
逆に言えば、「そうかあ」と言われるまでは閉まらないのだそうだ。
そこまで言って、彼は手元の缶飲料を煽った。一息ついて、どうなるんだろうな、とこぼす。
なんでも、「押しました」と答える社員はいまだにいないらしい。
そしてやはり、正直に答えて何かあった社員もいないという。
「押しました」と言って何が起こるのか。それは分からないまま、この口伝は今も続いているそうだ。
だれかやってみてくんねえかな。
友人はこう言って話を締めくくった。
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