自販機の横から路地に入る。
コンテナにも似た、赤錆びたトタンの屋根と土壁を持つその小屋は畳一畳半ほどの横長の空間だ。正面に二台、左の壁に一台と並んだ自販機はぴったり角をつけているように見えて、その実、左と正面の自販機の間には大人が一人通り抜けられるくらいの隙間があるのだ。その先はといえば、コの字型の暗い通路が続いている。埃を拭うようにして壁伝いを行けば、その先はほの明るいシャッター街だ。磨りガラスの天井を有するあたり、かつては商店街か何かだろうか。いま来た道をどん詰まりとして背を向けて、営業中の店どころか、住人の気配すらない場所をゆく。
ひび割れた小豆色の石畳は、革靴の足音をよく響かせた。一定の調子で打ち鳴らすそれを、ガラス天井がまた返す。伽藍の鳴き竜のような反応なのだろう。硬い足音に震えるような反響が返った。遠い足音が増えたようだ、と思ったその時、たしかに足音が増えた。天井の反響は自身の足音にほんの一瞬遅れて跳ね返る。けれど、増えた足音は反響より遅く、けれど自分の次のもう一歩より早かった。それになにより、ゴムの踵が石畳を打つ音と違う。スリッパの足音や子どもの駆けるのに似た音だ。
拍手にも似た、そう、プールの縁を濡れた裸足で走る時のそれだ。けれど、それにしては随分重い、質量のあるものを叩くような音じゃないか。
来訪者が足を止める。怖気の立つ背筋のずっと後ろで、一歩遅れて足音も止まった。
振り返った先には何もない。三、四軒も後ろにどん詰まりがあるばかりだ。濡れた足のような音であっても、果たして見えるあたりに黒々と濡れた足型が残っていることもなかった。
来訪者がまた歩き出す。足音がそれを追う。自身の足音の間に正確に足音を滑り込まされるうち、来訪者の足取りも速まった。
背後にあるのは足音ばかりで、悪戯を仕掛ける者の含み笑いは無い。また、危害を加えようとする力みが足音にこもることも無い。
理由も相手も分からないことはたくさんだ。
恐怖より怒りが勝る。そもそも、同じような困りごとを相談するためにここへ来たのだ。家の物がひとりでに動く。時には宙を飛び、壁や床にぶつかってくる。それが誰かのいる場所…まるでその人がこっそり投げたと示すように…でしか起きないものだから、家族は互いに気遣いあうようにしながら、けれど皆、誰かが悪ふざけでやっているのではないかと疑いを捨てきれずにいる。
足音の主もまた、その現象の一つなのか。
般若さながらの皺を額に寄せて振り返る。
誰もいないシャッター街に向き直った来訪者に、けれど、声がかかったのはその背後からだった。
「裏打ちさんは大丈夫だよ。」
こんにちは。知らないとこわいよねえ。
足音にも紛れそうな少年の声だ。声変わりの前の高さとか細さに、大人しげな小さい男の子を想像する。慌てて顔の険をほぐして、しかし、振り返った先で口角を上げていたのは、大柄な茶髪の青年だった。
「警備員みたいなひとだから気にしないで。おれに引き合わせるまでついててくれただけだから。」
側面を坊主に刈り上げた頭頂部で蓬髪をふわふわとさせながら、ね、と青年が目を細めた。狐めいて吊り上がる目元と裂けたような口元。来訪者がたじろいだのを見てとって、大丈夫だよ、ともう一度青年が言う。
「おれは辻中から来たからね。きみ、家のお客を追い出したいんでしょう。おれたちはそいつの仲間じゃないよ。」
ね、と青年が小首を傾げた。
「お話聞くから、団地においで。」
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