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青吊

客人の肖像:蛮勇の挑戦者

「獲った!」

高らかに歓声を上げ、鍵を引っ掴んだ勢いのまま客人が駆け出した。真ん中に鍵を安置した台座、四方の壁には扉を配置したこの部屋こそこのアトラクションの折り返し地点。あとは鍵を手にしたまま、脱出口のエレベーターホールへ辿り着ければ客人の勝ちである。

客人が来たのは台座に向かって南の扉で、開け放されたままの入口の向こうに敵対者の姿が見えた。獣の頭骨と人の手を組み合わせた様相の仮面か、冠かといえるようなものを身につけた異貌の案内人だ。悲嘆の王と呼ばれるかれは、客人を追うでもなく、手にした立体パズルを組み替えた。円柱形の掌ほどのそれは各ピースに小さな部屋が描かれていて、回すことで上下左右の配置が入れ替わる。ピースの配置が変われば、現実にこの場の構造も合わせて変わるのだった。

現に、客人が向かった扉の先も煉瓦の壁に変わっている。だよな!とやけくそに吐き捨てるのを聞き、悲嘆の王が笑みを浮かべた。

客人はそのまま別の扉に手をかけたらしい。悲嘆の王が鍵の台座の部屋に臨めば、狩場の構造が変わる揺れに時折よたつきながら、けれど次へと部屋を突っ切る姿が見えた。悲嘆の王からはもう遠く、部屋を三つか四つ挟んでいるだろう。パズルの力も万能ではない。例えば今のように扉を開け放されたままの部屋同士は離せないから、組み換えにもかなり制限が生じてくる。開けたままだとどうしても姿は捕捉されるが、あとは逃げるだけともなれば問題なかった。

悲嘆の王にできるのは狩場の組み替えだけではない。壁や床、家具の形を変えて、客人を害する杭や罠にすることもできる。けれどそれは悲嘆の王のいる部屋、あるいは通った部屋に限るから、距離を離されると成す術がなかった。客人もその規則は見抜いていて、隠れるより全力で逃げることを選んでいるのだろう。開け放された部屋をすでに七つも通り過ぎて、客人は黒い扉……エレベーターホールへの脱出口……その前に立っていた。悲嘆の王も徒歩で向かうが、到底追いつけないだろう。

「……正しい鍵を選べればな。」

静かになった狩場なら独り言程度の声も届く。小さく振り向いた客人の後ろ、部屋一つ挟んだ距離にまで悲嘆の王が近付いていた。

正しい鍵、と言われて、もう一度手元の鍵に目を落とす。台座にあっては鍵と見えたのは、それぞれ凹凸の異なる薄い鍵の束だった。それぞれの鍵には、持ち手に「F」「A」「K」「Y」「E」と記号がふられている。

一本ずつ試したのだろう。けれど、もう一度……と伸ばした手を、黒手袋をはめた手が押し留めた。そのまま鍵を選び、摘み上げれば。

「ほんっ……とに意地悪。」

客人が頬を引き攣らせる。選んだ「K」「Y」「E」の3つを束ねた鍵で、果たしてエレベーターホールの扉は開いた。けれど温情はかからないだろう。手元に戻された鍵が軋みながら凹凸を枝葉のように伸ばしていく。伸びた鍵は手放せないよう腕に絡み、あるいは枝同士で絡み合い、蜘蛛の脚に似た槍状の棒になる。

「言い残す事はあるか。」

「想像以上の意地悪だから、次は最後まで気をつけろって伝えて。」

悲嘆の王が笑いを漏らした。笑い返す、けれど悔しげな客人の胸を、鍵から伸びた枝が貫く。刺さった先の体内で枝は弾けるようにして解け、一瞬のうちに心臓を引き裂いた。



「また負けたんだよ。」

カウンターで頬杖をつく客人の横、先に運ばれてきたココアを片手に悲嘆の王が小さく笑った。

「経過時間を見るとさ、たぶん結構いいとこまで行ったんだよ。でもダメだったわけ。何でだよぉー!どこで気が抜けちゃったの!」

何か聞いてない?と悲嘆の王を見上げて、客人が唇を尖らせる。含み笑いを返す……むしろ口を開けば笑いが止まらなくなりそうで堪えているのか……王の代わりに答えたのは、ピニャコラーダを運んできたバーテンダーである。壮年の彼もまた「ネックレス・ホテル」のアトラクションの案内人ではあるのだが、出番まではこうしてもっぱらバーカウンターの内側にいるのだ。

「善戦でしたよ。むしろ途中で陛下を出し抜いてさえいらっしゃった。手に汗握る展開でしたな。」

そうでしょう、と目配せをした先で、少し離れた席の女が頷いた。真っ赤なカクテルを飲み干して、実に!と客人たちに向き直る。

「ええ、実にね!出し抜いたのもそうですが、わたくしめが目を見張ったのはその後でございます。あなた様ったら陛下のすぐ側を駆け抜けたのですよ。同じ部屋、それも手を伸ばせば届く場所をです。わたくしめが思うに、ねえ陛下、咄嗟に仕留められなかったのはその蛮勇に見惚れたからでしょう。そうじゃありませんか?」

「そうだとも。けれど。」

聡明でお喋りな団長どのへ、とバーテンダーに口止めを依頼し、悲嘆の王が口の前で人差し指を立てる。遠慮なく誉められた客人ははにかみながら、けれど、じゃあなんで負けたのぉ!と頬杖に戻った

また次回思い出すだろう、と悲嘆の王が慰めて、そうして思い出したように付け加える。

「最期のおまえの言葉によればな、おれはおまえの思った以上の意地悪だそうだ。」

最後まで気を抜くなと伝えれば、知ってますぅ、と客人が笑った。

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